| 向き合う事 野うさぎ |
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封じられていた鍵が開きました。こんな風に、鍵を開ける時が来るとは思いませんでした。生まれていたら、13歳と、9歳かな。中絶と、流産で失いました。 今まで、何度後悔したことか・・・。何か悪いことが起こると、きっと、あの子たちが怒ってるんだ、あのことのせいだ、そんな風にばかり思っていました。中絶、流産のあと、罪悪感は、もちろんのこと、自分の中で整理がつかぬうちにおこった出来事だったからではないかと思われます。そのことを、考えると自分の自我が壊れる・・・そんな風な想いから鍵がかけられたのでしょう。自分を保つ為に、自分を守るために。ずるいですね。自分が、自分を責めることからさえも逃げたのです。自分だけが生きるために、そんな手を使ったのです。真正面から、事のすべてを見ようともせずに生きてきたのです。 でも、決して子どもたちは、恨んではいない事や、ちゃんと、空のむこうで見守っていてくれている事を知り、今は、心から向こうにいる子どもたちが、幸せでいてほしいなあと、手を合わせる毎日です。いつも、鍵をかけておく事に固執していた私がこんな風に書いてるなんて嘘のようです。焦らず、少しづつ作業をすすめていきたいと思っています。ありがとうございます。 |
| 自分で選択 う〜たん |
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私は自分の勝手で5年前中絶しました。 彼は地方へ何週間も行く仕事で定住せず車で生活している人だったので一人暮らしの私の部屋で生活をさせた。私も仕事を辞めて彼の仕事を手伝った。妊娠がわかったのはクリスマス。イブの夜に一人暮らしだった私の部屋で彼が買って来たケーキをホールで食べた。次の日から彼は仕事で地方に行ってしまい年越しは1人だと思った明け方につわり。最初はケーキにアタッタのかと思った。彼が出る前に薬局へ行って検査薬を買った。陽性。まだよく知らない彼。嫌いな子供。自分が一生このコのママになる事。彼は嬉しそうに「どうする?」って聞いた。でも私は答えられなかった。少なくとも彼は気に入らない事があると私をひっぱたいた。軽くても必ず無理強いした。それに私自身、もともと子供なんか大嫌い。私の子供として産まれたら絶対不幸になる。彼は「また明日電話して」と仕事に行った。無責任に感じた。私を置いて行くんだ。次の日電話して「おろす」と言ってそのまま病院で診察して貰い、また「中絶」と言った。その日から実家に帰り母だけに伝えた。うちの家系は子供が出来難いらしく母は「せっかく出来たのにね」とだけ言った。実家に居れば母が御飯を作ってくれる。つわりで食べられない、最悪の年末年始。なのに栄養を考えたり2人分食べ様とする。手術の日彼は一緒に来てくれた。麻酔で眠くなる。「待った」はもう無理か。気が付くと彼が仏頂面して座ってた。おなかが痛くてまた眠った。起きると看護婦さんが紅茶とお菓子を持って来てくれた。モノを食べてなかったからありがたかった。彼はタバコ吸いたいと言い出し私は外へ追い出した。帰りファミレスに連れて行かれたけど、とにかく究極に空腹だったのでチキンをペロッと一皿平らげた。ノンキに食べる私をむかついた顔が見てた。その日の夕方彼が費用の30万を寝てる私の布団に叩き付けて出て行った。 その後何ヶ月か付き合ってたけど×でした。でもそのコが無事に天使になったから今のダンナに会わせてくれたのかな? もう命日すら忘れてしまったダメママなのに許してもらってもいいのかな? |
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