授業参観の思い出 吉野井詠子
 私の両親が離婚したのは、まだ幼稚園に上がる前。後に母は子宮癌にかかり、リンパ腺切断の為に外を歩く事が難しくなりました。それでも、授業参観には来てくれた事を私は忘れません。
 けれど、PTCA(学年事に親子共同で遊ぶ、みたいな行事)は出れなかったんですね。歩くのが精一杯で、走るなんてとんでもなかったんですから。PTCAの日、背の順に並ぶのが苦痛でした。前の子の隣にも、後ろの子の隣にもお父さん(もしくはお母さん)が居るのに、私の隣だけ、ポツンと空いてるんです。『詠子ちゃん(仮名)のお母さん、来ないの?』そう訊ねられるのが、とても嫌でした。当然、そう言う子は私だけではなかったけれど。あの日程、病気にかかった母を嫌った事はありませんでした。あの日程、離婚した両親を恨んだ事はありませんでした。
 小学生って、小さなオトナなんです。『他人と違う』事を、何よりも嫌がる。何よりもはやし立てる。それでも、母が見学に来てくれていた事を私は忘れません。中三の冬、ついに障害者手帳を貰った母に。少しくらいは恩返しをしないとなぁと誓った、私です。

馴染めなかった「学校」 hiroko
 高校に入学して3日目で、「辞めよう」と思っていた。一週間だけ、我慢して通ったけれど、もう限界でした。
 私は、義務教育の間は、病気以外、学校を休まずに通っていました。本当の友人もいなくて、一人で行動していた無口な私は、よくいじめられました。でも、中学の時は、「義務教育だから・・・」というのが理由で、我慢して登校していたので、とても苦痛な日々でした。毎晩、「明日学校に行きたくない」と、悩んでいましたが、「行くのが当たり前」という雰囲気でした。
 私は、高校を、たった一ヶ月で中退しました。一週間だけしか、通いませんでした。その後、大検を受けたりしましたが、うつ病などの為、通信制の高校という、選択をしました。無事、通信制の高校を卒業しましたが、普通科の高校を、中退したことを、後悔はしていないです。ただ、馴染めなかった自分が、悲しいけれど。




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