フリースクール 吉野井詠子
 私が、あるフリースクールに通い始めたのは、中一の九月頃。母が一冊のパンフレットを渡してきたのが切っ掛けです。
 テレビが見放題でも夜型でも責められないのは、確かに楽でした。けれど、どこか心の中では『普通の』生活がしたいと思う気持ちがあったんじゃないかと思います。そうして、一回の見学の後、私はそのフリースクールへと通うようになりました。
 約半年、同い年を怖がって引きこもり同然の生活をしていた。けれど元々人と接する事は好きな私にとって、フリースクールでの生活は、毎日をとても楽しみにさせてくれました。一緒にお喋りをして笑って、時には勉強もして。そんな、友達のようにに接してくれる先生達が、私が持っていた《先生》へのマイナスの印象を払拭してくれた気がします。一番怖がっていた、生徒同士のグループも殆ど無くて、とても安心しました。先輩、後輩という上下関係がないだけでも、随分と心が楽になったんです。その年(中一)は今に比べて随分と人数が少なく、中一は私一人でした。それを全く苦痛に感じさせなかったのは、きっと先輩や先生等の、周囲の環境の良さだったのかと、今になって思います。初めはなかなか話が出来なかった子とも、だんだんと話が弾むようになって。ようやく《友達》と呼べる相手が、出来たんです。
 フリースクールに来ていて、地元の中学校に戻った人が居ました。フリースクールさえも辛くて、なかなか来れない人も居ました。そんな色々な人が、私に色々な事を考えさせてくれました。中三になる頃には人も増え、随分と環境が変わってしまって、嫌な事も増えたけれど。それでも、『フリースクールに通えて良かった』と、心から思えました。
フリースクールに通えた事は、私にとって大きな宝だと思っています。全てのフリースクールがこのような雰囲気ではないかも知れない、けれど私はそこに巡り会えた。
──願わくば、沢山の人がそんな巡り会いを果たせますように…。  

友達関係みんな必死 てと
 私は丁度、3年で今年受験を控えています。ちなみに不登校です。
 友達関係ってね、みんな必死。TV見たりしてね、「モー娘。」(今はユニット違うっけ)の知識を仕入れたりして、なんとか友人関係を作ろうと努力している。一人になるのがコワイから。
 女の子のグループって、ボスみたいなのが必ずいる。それで、従わなければ仲間はずれにされる。それが怖くて、いやいやながらも従っている子がいたよ。男の子も女の子みたいに強固ではないけど、そういうのがある。
 そして…その外側に、オドオドしている教師がいる。どうすればいいかわからない、責任取らされるのはいやだ…。じゃぁもみ消そう、親が悪いんだ…と決め付けながらも葛藤する。
 これはほんと、切実な問題。みんなで考えていかなくちゃいけない。あなたも協力して、ね?

無理して行く必要もない KIM
 私は高校3年生の2学期になって不登校になりました。生徒会の役員をやっていて受験も控えていて、はっきり言えば「疲れ果てた」のが理由です。
 今考えれば、勉強や生徒会の職務をこなすのに相当無茶してました。いわゆる完璧主義者でしたから余計に自分を追い込んでしまいました。あのまま学校に行けば「過労死」してたかも。
 よく「皆勤賞」で表彰しているけどそれはそれでお疲れさん、と思う。でも無理してまで学校行く必要もない。そう考えます。




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