名前 二階堂ちーな
 学校に行っていても行かなくなってからも、わたしはずっと「わたし」でした。
 中二の三学期、担任はわたしが手のかからない、言い換えれば便利な生徒だったため、当時たまたまクラスに居たちょっと知恵遅れの男子の面倒をわたしに見させていました。朝が来て学校へ行くことが死ぬほど苦痛で、わたしは次第に笑わなくなり、生気のない顔に死んだような魚のような目をしていたと母は言います。そしてふとしたきっかけで、自分で行くのをやめてしまったのです。保健室だけでも来ないかとか、もう三年生にあがるから受験の準備が、など学校側からは再三要求がありましたが、わたしは腹を決めていたため、卒業式の日ももちろん参加することなく卒業しました。
 そのあとわたしは通信制の高校へ進みましたが、大検というものの存在を知り、大検予備校に入りそちらの勉強をはじめました。途中体調をくずして自律神経失調症を患いながら大検に合格し、その後専門学校へ入った後、現在はアルバイトしつつ暮らしています。
 その頃も今も家にいてすることは対してかわりがありません。本を読んだり絵を描いたり音楽を聴いたり…。大検の勉強、ゲーム、パソコンでホームページを見たり創ったり、ふらふら出かけてお買い物。たまに友達とご飯を食べたりして。今後に対する不安や自分に対する失望や焦りを感じつつも、いつも心の底の方で、取りあえず今、働かなくてもご飯が食べられたり、住むところがあって一通り生きていけるということ、非常にラッキーなことじゃないかなと、今も当時も思います。
 わたしは、普通の人たちが高校へ行き、受験をするあいだ、家にいました。家にいて確かに世間的に普通ではないかもしれない進路ですが、自分としては精一杯頑張ってその時間をすごしてきました。めいっぱい悩み、泣き、苦しみ、時には笑って。そうしてきた経験は、特別扱いするほどのものでもないけれど、わたしが通ってきた立派な通過点だと思っています。そして今も。その時そのとき、十分に自分らしかったり、その人らしかったりすること。外野が勝手にひきこもりだとか不登校だとかいうのに振り回されないで、「わたしはわたし」とかまえていてほしいと思います。
 学校に行っていても行かなくなってからも、わたしはずっと「わたし」でした。

クラスでの疎外感 めぐみ
 私は、最近よくクラスの人と居ると疎外感を感じます。これは、入学した当初からでしたが、最近日ごとに疎外感を感ます。
 私は、自分で言うのもおかしいですがどこのグループにも属していません。クラスにも何グループかわかれていますでしょう?そのグループですよ(笑)。あえていうならこのグループかな?って感じです。
 私は、一人で居ることはまったくつらくないのですが、クラスの一人が私を気にかけてかよく声を掛けてくれたり、お弁当を一緒に食べてくれます。でも、その子はどこのグループの子とも仲が良く行ったり来たりしてます。そんなのを見てると何故か疎外感を感じ苛々してきます。。。。私は、その子に嫉妬でも抱いてるのでしょうか。

学校が全てじゃない かぽ
 あたしは今、ガッコに行ってません。でも、ちゃんと行けるようになりたいと思ってます。
 だけど、父親は条件を付けて無理矢理ガッコへ行かせようとする・・・。あたしがガッコに行かない日が何日も続けば暴力をふるわれる・・・。自分は悪くない。そー思いたいのに、父親に暴力をふるわれる度、あたしが悪いんじゃないかな、と考えてしまう。
 でも、このホームページを見て、やっぱりあたしは悪くない、と思えました。ガッコが全てじゃない。あたしにとって大切なモノを、大事にしていけたらイイなと思います。




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